もしかしたら、そう遠くないうちに、やむ負えず再び海外へ長期滞在せざるおえないかもしれません。 brbrいろろいろと思うこともある一方で、いつからか、つくろうことの馬鹿らしさを痛感し、brbr今日もあたしという人について書いてみます。brbrあたしの「名付け親」は、わたし自身です。源氏名やニックネームではなく、brbr自分で自らの名前を考え、選び、法的に付けました。brbr最近では、たいして珍しくもないかもしれないですが、そういう生きざまでした。brbr私の親族は、半分が日本人ではありません。brbr血筋については興味はないけれど、国籍でいえば、brbrアメリカ人であり、台湾人です。brbrまだとても若かったころ、いつか英語でしゃべれるようになりたいとbrbr夢みていました。その夢がかなったとき、brbr日本語でしゃべれることの幸せをはじめて知りました。brbr親族の多くとは英語での会話で、日本語ではほとんどしゃべる機会がありません。brbr私は、異常なほどに「和」の文化が好きですが、brbrそれは単に「流行り」だからというよりは、brbrかつて海外にいたことで、とても遠い存在であった「日本」や「和」というものへのbrbr憧れ・・・ おかしな話ですが、そのせいかなと最近思います。br
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あたしの名付け親について

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