あんなところにも狩野の絵が・・・

尾張名古屋

名古屋城をふらついていると、妙に新しい建物を発見。
「本丸御伝」が再現されたもので、合わせて狩野派の絵も公開中とのこと。

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中ではフラッシュを使わなければ、ふすま絵などといっしょに写真も撮り放題とのこと。こっちにも狩野絵、あっちにも狩野絵で、あの狩野の絵がこんなに普通に設置されているなんてすごい!!(いや、でもさ、涼しいとはいえ、この温度と湿気でこういう美術品の保存って大丈夫なのかな??金泥とかってそんなに耐久力あるんだろうか・・・。)
この青色が素敵。

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そこで狩野派といえば数人しか名前知らないうさんくさいあたしは、係の人に聞き込みをしてみました。
あたし「あの〜、この中にもしかして永徳の絵ってあったりするんでしょうか・・・」(←永徳=信長のシェフでピラフ食べてる人のイメージなあたし)
係の人「この奥のやつは狩野派の誰の絵かまではわからないんですよ。永徳のものは無いですね。永徳から20〜30年はあとの時代のものばかりで、大半は狩野派ということはわかるものの、誰の絵かは不明のものが多いんです。」
あたし「ふむふむ〜(・・; でも、その時代のものがこんなにあるなんて・・・すごいですよね。」

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永徳ではないにしても、江戸時代の初期の絵たち。適当に計算してもほぼ400年くらいの時間が経過しているものすごい絵だ〜(・・;@畏怖

といって話を、旅から帰ってきてから親しい友人にしてみました。
「それ、本物じゃないよね、明らかに」

あたし
「え、マジで(・・;!?」
とすごい不安になってその場でグーグルで「名古屋城 狩野派 絵」と検索してみたところ、「復刻絵画として蘇る狩野派の絵」と即座にでてきてビックリ(ーー;
ものすごい絵であることに間違いはないのですが、流石に現物そのままではありませんでした(汗

かつては安土城の中の謁見の間の龍や三皇五帝なども描いていたというのも狩野永徳さんでしたが、brそれらは謎の放火に包まれて歴史の闇の中に消失。やはり現物はとてもとても少ないようです><br山形の米沢にある「洛中洛外図」は現物なのですごいオススメです^^v

追記:
タグの都合で前回の記事に現存天守というタグが付いてしまっていたんですがミスですー^^;
名古屋城は残念ながら現存天守ではありません(というかあの中で現存なのは石垣だけかも・・・??)。

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