無数の愛のカタチ

屁理屈をこねるつもりはないです・・・。brbrでも、「本当に愛し合えるのは、一人の男性に、一人の女性」っていうのは、brbr本当にそうなんでしょうか・・・?brbr「複数男性」と「複数女性」が愛し合うという形式が「異常」とされてから、brbrたかが100年もたっていない。brbr日本の歴史はどう短くみつもってもまともな記録だけでも1500年以上あるわけだし、brbrその中で、「一夫一妻」になってから本当にわずかしかたっていない。brbrbr私には、「特定少数」のSMプレイなどで交流する男性がいます。brbr先方もたいていはそうかもしれない。brbrでも、そういう形態は、平安時代とかの王朝文化を理想としている私の場合、brbrむしろ自然に見えてしまいます。brbr変な例えばですが、どれだけイタリア料理が好きでも、brbr和食だって食べたいし、ハンバーガーも食べたいし、brbr中華やフレンチも食べますよね・・・。ひたすらに「一筋」というのは、brbr私は自分にかんしては、理解できないです。。。brbrbrbr「不倫」っていうのは、「隠れて行うこと」だと私は思っているので、brbrお互いに理解したう上であれば、それはただの「交遊」だと思ってます。brbr私の「連れ」がとても大切にしている女性と私は何度も面識もあるし、brbr京都へも台湾へもいっしょに旅行したし、brbrいろいろと見習いたいことばかりで、ほんとにその子のことを私は人として好きです。brbrbrこういう関係は、批判されることが多いかもしれない。brbrでも私はそうやって生きてゆき、死んでゆきます。brbrbr例え・・・・ 社会不適合者の烙印をおされようとも、brbrそんな取るにたらないことはどうでもいいとしか思えないです。brbrそこまで、時間が残っていない・・・。brbrbr言葉づかいが、どんどんと地の自分で描きつつあります。brbrそういうことをしはじめた理由は、私がSMっていう世界に踏み込んだbrbr本当の理由は、「幼少〜10代におけるトラウマ」だからです・・・。brbrやっぱりいろいろなところで聞かれます。brbr「なんでSM好きなの?」「虐げられるのが好きなの?」って。brbr当たり障りのない返答なら10も20もあるけれど、brbr本当の理由は、「かつて、虐待されたから」です。brbrこれもありがちかもしれないけれど、そんな自分を「なんとか正当化」するために、brbr虐げられると快楽につながるように、心を変えていきました・・・。brbrそうしなければ、生きられなかった。brbrでも、悔やんではないです。そんな暇はない・・・。brbrbrこんなことはお店時代とかでは絶対に書けななかったけども、brbrおそらくは、よくある理由だと私は思ってます。br

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